土曜日, 8月 14

ニュータイプ9月号

今日は早出勤務。どうやら夏休み家族サービス&お盆の帰省などによる休暇申請も峠を越えるようで、来週は正規の勤務シフトに則った連休を確保できそう…半月ぶりの休日だ(笑)。
だから立ち読みは来週まで先延ばしにしても良かったんだけど、ニュータイプ自体&代償として購入するヴァルプルギスが売り切れる不安を拭いきれず、今日のうちにO書店へ。
先日の下調べ──閉店時間が迫っていたのでニュータイプは諦め、DIMEのアニメ特集号のみ立ち読みした──の際には、ヴァルプは1冊だけ棚差しになっていたのだが、今日まだ売れ残っていたのは幸いだった(←あくまで俺にとっては。同じ1冊が売れ残っていたのだとしたら、作品の人気について心配せざるを得ないところだが)。

DIMEに関しては、基本的な部分は概ね抑えているな…という印象で、それ以上でもそれ以下でもない。表紙どころか付録のクリアファイルまでけいおん尽くしにする勇気には感服したが、本来の読者層(←お堅いビジネスマン?)はドン引きじゃないのかと心配。
ブラックロックシューター商法が成功すれば、アニメビジネスが変わる」という意見は、どこまで信じていいものやら。過去にOVA商法、製作委員会方式、DVD商法、OAD商法、小規模劇場公開…と色々な販売方式が出てきたけど、どれも結局、後から参入してきた連中が粗製濫造を行なっては市場を荒廃させ…という歴史の繰り返しだからなぁ。
岡田斗司夫の言うように「ひたすら当てずっぽうに作りまくって、とりあえず当たった作品に乗っかって行くしかない」というのが現実か。

なおO書店へ辿り着く前に、自宅近くのコンビニであきそらOVA上巻DVDを回収し、Sスーパーでアイスの安売りをチェック。あいにくアイスは通常価格だったものの、向かいにある100円ショップを覗いてみたところ、折りたたみ傘を発見し、これ幸いと購入した。

巻頭はけいおん京アニ特集に続いて戦国BASARA弐黒執事Ⅱで、とうとうニュータイプまで腐女子シフトしたのかと焦った(笑)。実際は、むしろキャラ人気投票ランキングでAngel Beats!勢がトップを占めるなど、やはり他の2誌とは異なる読者層であることを再認識させられたわけだが。
世紀末オカルト学院で最年少の脚本家メンバーいわく「ノストラダムスって誰ですか?」…昭和は遠くなりにけりだなぁ。

ユニコーンは、すでにエピソード2が完成。冒頭のデストロイVSクシャトリヤが2分半しかないというのは残念だが、「セリフの接続詞ひとつを削って、何とか収録時間内に収めきった」というタイトな状況では仕方ないか…とか言いつつ主砲の旋回シーンは時間をかけて、じっくり描いているという(笑)。
1週間前から酒断ちしてアフレコに臨んだという、池田秀一の演技に期待。そしてアイザックが(一瞬だけ)登場するということは、次回ガエルちゃんの活躍に期待していいんだな!?

富野×冲方対談は、ビジュアル重視の危険性について。そもそも単なる現実逃避&刹那的な快楽を得る手段に過ぎなかったはずが、現実よりも重要だという主客転倒が起こってしまい、現実の問題に対する思考力が鈍化している…ということが危機的だという話。
この現実に対する閉塞感は1930年代と似た傾向であり、その行き着く先は全体主義の台頭だと警鐘を鳴らす。富野は最近アンナ・ハーレントにかぶれていたわけだが、新たにドラッカーの著作の中から、今ある問題への説得力ある説明を見出した模様…うーん、ここまで「もしドラ」がブームになってしまった後で、ドラッカーというのはタイミング的にどうかと思うぞ(笑)。というか「独伊が全体主義に走ったのは、国土統一の遅れが一因」という見解は、ちょっと関連書籍を齧れば見つかるはずだがなぁ。
山積する問題に対して政治家が無力すぎると嘆いてみても、実際のところ解決できる限界を超えているんだから仕方ないだろうし。小泉改革程度の痛みに音を上げているようでは、この先生き残るのに必要な大変革を仮に行なったとしても、その痛みに耐えられるはずがないわけで。
問題は、いずれ訪れるであろうカタストロフの後、人類社会が生き延びる(←サスティナビリティ的な意味で)のに必要な叡智を伝えられるかどうかではないかと。その意味でWWⅡの後の冷戦は理想的なシステムだったわけだが、今回は「新たな敵が現れたので、これまでのことは水に流そう」的な論法は使えないだろうしな…もはや外側に“新たな敵”を求めることもできないし、闘争を(←ポーズだけでさえ)行う余裕もない。となると流血を伴い、後の世代に怨念を残すような形のカタストロフ(=つまり戦争)は不可であり、経済破綻や自然災害といった、他社に責任転嫁できないタイプの破滅が相応しいことになる。
その点で今の日本の状況というのは、そんなに悪くないと思うんだけどね。流血も混乱もなしに、人口の自然減と経済の縮小が進んでいるというのは極めて理想的であって、無意識に現実問題への関わりを拒絶しようとする姿勢がその背景にあるとするなら、ビジュアル享楽主義も一概に否定されるべきではない…と、悲観的楽観主義者である小生は愚考する次第です。

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